新田ひらく|オザーナリズム BLOG

おざなりな文章 若きジャーナリズムを掲げて、政治からサブカルチャーまで批評していきます。

4/27朝まで生テレビの裏番組オールナイトニッポン0で宇野常寛が語ったこと。


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大学在学中にウェブサイト「惑星開発委員会」を立ち上げ、オタク系文化などのサブカルチャー〜ポップカルチャー批評およびその他の活動を行う。
惑星開発委員会」は1年ほどしてメンバーの卒業などからいったん解散するが、大学卒業後、会社員をしながら2005年に「第二次惑星開発委員会」を立ち上げ、2ミニコミ誌『PLANETS』を発刊。
デビュー評論『ゼロ年代の想像力――「失われた10年」の向こう側』、その後『ゼロ年代の想像力』など、執筆。
ガンダム、戦隊シリーズ、仮面ライダー、AKB48、などをこよなく愛している。推しメンは横山由依。宇野曰く、「横山由依は『世界の真実』だ」



そんな尊敬する宇野常寛さんがやっている、
宇野常寛オールナイトニッポン』(2013年4月26日放送)
が、とても面白かった。


宇野氏がラジオ冒頭で、「朝まで生テレビ」にネット世代の論客が出ていることに触れ、語ったものを書き起こしたものをまずご覧になってもらいたい。一部省略。


宇野:「今日の朝生は「わかっている人には既にわかっていることを確認するためだけの番組」それでも、荻上(チキ)とか津田さんとか、堀江さんとか、駒崎さんとか、が朝生を占拠したという事実はとても意味のあるものだ、と思うんです。
マスコミを信じてきた世代は、戦後社会を生きてきたおじいちゃんおばあちゃん、あるいは50代以上のおじさんおばさん世代で、インターネットを支持している若者とでは、見てる人間も世界観も違うし、やり方も違う。見てる風景が全然違う。だから、お互い相入れない。
でも、将来的にこれから、みんなが茶の間に集まってテレビのバラエティ番組とか歌番組とかを見て、一つの話題をみんなで受け取って、なんとなく世間が作られるテレビや新聞で報じられているニュースが、日本社会なんだ、と、テレビや新聞が世間を作ることはあり得ないと僕は思うんですよ。もう価値観もバラバラだし、好きなものもバラバラだし、世の中どんどん多様化しているんだから、インターネットが力をもってくるのは仕方ないことなんですよ。その上でどういう世の中を作っていくのかということを本来ね、考えなきゃいけないっていうことは自明のことなんですよね。
 インターネットとかわからない高齢者の人達とか、ずっとマスコミで働いてきたプライドを持っている人とかはそういったことがわからないし、わかりたくないから、すごく対立が起こりやすいんですよ。だから、僕たちは「インターネットで新しい仕組みができました!新しいやり方ができました!これならこんなに自由になりました!」っていう話はもういいんじゃないかなと思うわけですよ。若手論客が出ているというのは、新しい時代がきましたっていうアイコンになるから良いと思うんですけど、議論の中身としては、わかる人にはわかっていることなので、それを上の世代にね、説得するっていうのはむつかしいんですよ。だって、人間、これが合理的だからって動くわけじゃないじゃないですか?基本的にね。なので、もう、成果を見せていくしかないと思うんですよ。「インターネットという新しい武器を僕らが手にいれました。その結果、こんな面白いものを生み出しました」、と。「今のマスコミにはできない、こんなことをやってます。」という、成果物を見せていくことで初めて、未だに新聞やテレビを信じているおじさんやおばさんたちに、わくわくさせる、どきどきさせることで、ちょっと味方になってもらうコミュニケーションが僕有効だと思うんですよね。
なので、もうそろそろ仕組みの話はいいんじゃないかと、中身の話に移っていくタイミングじゃないかと、思います。
インターネットという武器を持った僕たちが、マスメディアでできないようなものを生み出していくことが重要。
例えば、政治勢力でいうと、「左翼じゃないリベラルというもの」。
単純化していうと、
戦後の日本を温存しようという、右だと、自民党で、
左だと、もうほとんどつぶれちゃってるけど、共産党社民党とか、未来の党とかになっちゃう。
構造改革をして、日本を新しくしようというので、ちょっと右翼っぽい、タカ派っぽいでいうと、維新の会。
そこで、ぽっかり空いているのが、最近まで民主党がその座を占めていたんだけど、ボコボコに崩壊しちゃった、これから、新しく日本を作り変えて行こう、もっと自由化とかしよう、という所がぽっかり空いちゃってるんですよ。もっと言うと、左翼じゃないリベラルっていうのがココなんですよね。ほら、昔の左翼って、マーケットとか情報社会、消費社会とか聞くと、それは人間性を阻害するものだとか言って、なんとなく悪いものだとしちゃうわけですよ。「お金儲け=悪」「消費社会=悪」「情報社会=悪」、とかなっちゃうんですよね。でも、そんなこともうないんですよ。現実的に考えて。
経済成長も大事だし、安全保障も現実的な議論をしてもいいし、規制緩和も必要な分だけやりましょう、是々非々で考えるような、ね、そういった新しいリベラルがあってもいいと思うんです。
いわゆる、昔の左翼じゃない、そういったものとは全く切れてしまった、リベラルというものがインターネット上に生まれる。それは昔の戦後的な体制に染まっているマスメディアとかテレビや新聞がやれてこなかったことなんですよね。で、そういったことをやっていって始めて、上の世代にも、「あっ、インターネットっていうのは単に仕組みが、新しいだけじゃなくて、世の中を、変える力があるんだ」と。
「新しい仕組みがあれば、新しい成果物が生まれるんだ」と。
「新しい酒は新しい皮袋に」とは、逆バージョンで
「新しい皮袋があるからこそ、新しい酒が生まれるんだ」っていうことを気づかせて初めて、説得できたり、魅せることがてきるんだと思うんですよ、
それで  、
  オールドメディア対ニューメディア、
マスメディア対ソーシャルメディア、
マスコミ対インターネットの対立みたいなものは終止符が打たれる、というか、一つの答えがでるのかなぁなんて思ったりもするんですよね。」




とまあ、読んでいただけたでしょうか?



要するに、ネット世代が朝生を占拠したことはとても意味があるものとして捉えていて、そこから、世代間の断絶(社会の見え方、考え方、信じているもの)の隔たりをどう埋めていったらいいのか、ということを考察していた。これから、必要なことは、離れた世代が拳と拳を正面衝突させて、議論するようなものではなく、ネット世代がインターネットという新しい仕組みの中でできた成果物を提示して、それで離れた世代の人達を味方につけていこう、という工夫をすることが大事ではないかと、宇野さんは提案している。



すごく同感した。
新しい仕組みや概念を上の世代に伝えようとしても、なかなかわかってもらえない。だったら、結果を見せつけることしか、理解を得られる方法はない。

サッカークラブで、こんな施設を用意しました、こんなトレーニングメニューを導入してます、一流の監督やコーチを雇いました、といってるだけでは、そのサッカーチームが良いか悪いかは判断できない。やはり、試合で点を決める選手がいるか、鉄壁の守備をする選手がいるか、やはりその中の選手が結果を残さないと、そのサッカークラブや選手達は評価はされない、ことと同じですよね。

やはり、これからを担う「選手」「プレイヤー」である、私たち世代が、結果を出していかなければならない。上の世代を巻き込んでいくために。この日本社会全体のために。

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